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代表 本吉 進

「量子コンピューター」に思う「文理の分離」の克服

先日、グーグルが量子コンピューターでの計算実験で「量子超越」を達成したことを『ネイチャー』で発表したというニュースがありました(日本経済新聞 2019/10/24朝刊「グーグル量子コンピューター 「超計算」成功を発表」)。


ここ数年、世間を騒がせているAIでのディープラーニングのブレークスルーも併せて、これに量子コンピューターの成功が合流することを考えると、人類も来るところまで来たな、という印象を受けますが、ここでは、会計士の仕事が奪われるとか、ある意味でどうでも良いことよりも、もっと面白いことを考えましょう。


まず、「量子」と「コンピューター」と来て、思いつく人としては、フォン・ノイマンでしょう。この人、歴代上の天才ランキングで、アインシュタインと争うことの多い超人ですが、言わずもがな、量子力学の数学的定式化やプログラム内蔵型計算機(それこそ「ノイマン型」と言われる)の開発も含めて、大車輪の活躍をした人です。写真左の「現代思想」の増刊号は随分以前に買ったものですが、昨晩も収録されている数編のエッセイ・論文を読んで、畏怖すら伴う敬服を改めてしてしまった次第。


そして、この私、あまりに僭越ながら、この人が開拓した知的領域を辿るために「理科系」の勉強をイチからしてみたいという欲望を随分以前から抱いております。大学受験を私立文系で終えた人間にありがちな悲哀と言えばそれまでですがw、今年から時間を見つけて、高校数学や理科の参考書をボチボチ消化するという涙ぐましい作業から始めています。STEM教育やリカレント教育が叫ばれる昨今ですが、その文脈を離れても、「文理の分離」ということは、一人の人間の人生においても、社会の生産性としても、非常に残念なことです。


実は、拙著の『精神会計学』で展開した「会計と人間心理」の関係解明ですが、将来は理科系的に「計算機と脳」のような領域で思想展開できれば良いなと考えたりしています。その意味でも、写真の真ん中のノイマン晩年の講演『計算機と脳』のような内容は、インスピレーションの源泉だったりするワケですが(第2部の最終節の「数学の言語ではなく脳の言語」の末尾にある「中枢神経系が現に用いている一次言語の上に構築された二次言語」という関係に、フロイトの「物表象の上に構築された語表象」のようなアナロジー的発想をしてしまうのは、文系頭脳の悪い癖なのか・・・・)、重ねて僭越ながら、最終的な成果のモデルとしては、写真の右にある、こちらも天才列伝の一人に数えられて良い数理物理学の世界的権威であるロジャー・ペンローズによる『皇帝の新しい心』のような著作を夢見ていますが、まぁ、夢で終わらせないように日々努力することにしましょう。w


なお、ペンローズがホーキングと共同証明した一般相対性理論での有名な「特異点定理」は自分の世界観にも大きな影響を与えていますし、ペンローズが影響を受けノイマンとも深い交流があったゲーデルの有名な「不完全性定理」も然りなワケですが、その意味ではノイマンの業績には、その悪魔的とも言える計算的=道具的理性に驚愕はするものの、「世界観」に影響を与えるものは少ないかも知れません。で、この辺が、「理系的理性に還元できない文系的感性」の居場所なのかも知れない、凡庸な意見ではありますが・・・・。








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